日中両国の香道文化について、それぞれの研究がいくつか見られるが、両国の香道の違いについて の研究が多くないという現状がある。その上、両国
日中両国の香道文化について、それぞれの研究がいくつか見られるが、両国の香道の違いについて の研究が多くないという現状がある。その上、両国の香道の文化伝承の面からの対照を対象にした研 究は言うまでもなく少ないと思われる。
3.日中両国の香道について
人間は五官(目、耳、鼻、舌、身)でものを捉える。目でものを見、耳で音を聞き、舌で味わい、 手で触り、形、硬軟、熱を感じる。そして鼻でにおいを知る。貴重な香料を心の底まで鑑賞すること を通して、心が優しくなれ、友情を増進し、審美の心を修得することは、礼儀作法を学ぶ上で、非常 に役立つ一種のむつまじく楽しい儀式となったと思われる。香道を鑑賞する過程のなかで、心ゆくま で味わうことだけではなく、人格をみがくことができる方法の一つでもある。日中両国の香道の文化 伝承を更に研究するため、我々はまず日本と中国の香道の起源発展、文化内容についての違いを理解 しなければならない。
3.1 日中香道の起源と発展
中国の香道文化の起源は春秋時代からである。魏文帝曹丕は曹植、建安七子を誘って、迷迭香を鑑 賞したことは香道の前身と言えるかもしれない。魏晋南北朝時代は一番芸術精神に富んでいる時代と 呼ばれた。そのため、その時から香道は寺の清修と貴族の薫香から独立し、単純な芸術と精神を養う 活動になった。また、仏教、道家が広く流行し、香を使い、体を治療することという香療法の養生観 念も普及したのをきっかけに、香は普通庶民の間に流行っていた。それから、香道は隋唐に海外との 交流を伴い、宋代で全盛を極めた。宋代には、香道、掛け物、茶道、生け花が上流社会の四大の上品 なことと呼ばれ、当時現代香道の基本的つくりと香道具をすでに備えていた。芸術形式としての香の 命が短い。香は画、音楽のようにコピーし演奏されることと違って、処方に基づいても、材料と比率 の差異のため、昔の姿を再現するのは難しい。現在は文字からしかこの嗅覚から心の底までの芸術を 認識することができない。中国の香道についての著作の中、一番早いのは南朝の范晔が書いた『和香 方』である。元代以降、不穏な社会、人々の思想が束縛されたため、香道は庶民から貴族の間に戻る。 その結果、社会では香道が見られることが少なくなった。更に、清代には国勢が衰え、西洋文化のシ ョックを受けたため、香道は苦難の時期に入った。今では、昔の方法にのっとった伝統的な香は見る ことがほとんどできないと思われる。近代の人は大体香を焚くことを形式とし、ただ香を見、焼くが、 香りを味わい鑑賞することはないと考えられる。
その一方、日本ではすでに大和朝廷の成立以前に大陸より香料の到来があったものと考えられる。 日本人は古来より香りに深い趣を見出してきた。香が使われだしたのは奈良時代である。東大寺や法 隆寺など、奈良の大寺院では盛んに香が使われた。つまり、香は仏教と共に日本に伝えられ、仏教に よって日本に広がったのである。奈良時代のそれはいわば供香で、仏事を荘厳することが目的であっ た。さらに、鑑真和上によって、インドの宗教儀礼の伝統を色濃く残す授戒作法が伝えられ、それに 必要な香料 11 品目がもたらされた。こうして香料の配合による焼香の技法が伝えられたのであり、 後世鑑真が合香の祖に擬せられる所以である。それから、香が次第に宗教性から脱却し、玩香として